ビールの歴史について②
こんにちは、メイクラフトです。雨模様の日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。最近はマスクをして人に会う事が日常になってしまいましたが、マスクをしていると相手の表情が分からないことが多いと思います。そんな時にさり気なくマスクを少しだけ外して顔を見てもらうことを心掛けています。そうすると相手の方も表情が見えて安心するかもしれません。さて、先週は「ビールの歴史について①」についてお話ししました。ビールの起源から修道院で作られるようになるまでをお話ししましたが、今回はその続き「ビールの歴史について②」として、16世紀から19世紀のビールを振り返ります。
紀元前から長年に渡り人々に親しまれてきたビールは、16世紀になるとドイツでビールの品質向上を目的に「ビール純粋令」という法令ができました。ビールが多くの地域で醸造されるようになる一方で、ビールと呼べないずさんなビール造りが横行していたドイツ。品質管理に課題を抱えていたのです。そこで時の公室が「ビール造りは大麦・ホップ・水のみを原料としなければならない」というルールを作り、更に1㍑あたりの価格制限も設けたのです。このビール純粋令はドイツ国内のみのルールでしたが、現存する食品に関する法律としては世界最古になります。今でもドイツで造られるビールの多くは、このビール純粋令に準じたビール造りをしています。
その後18世紀に起こった産業革命により、それまで手作業で造られていたビールが機械による醸造に変わっていきます。開発された蒸気機関によりビールの大量生産が可能になったのです。中でも大きかったことが温度計の発明と冷却器が登場し長期保存を可能にする低温殺菌法(パストリゼーション)が発明されたことです。簡単に説明する完成したビールの菌を60度程の温度帯で殺菌することで再発酵を防ぎ安定した品質のビールを長持ちさせる技術のことです。今日の飲料業界ではあたりまえになった技術ですが、牛乳や大手ビールは流通面から品質を一定に保つ必要性のあるために、この低温殺菌法を活用しています。そしてこの18世紀ごろに冷却器が誕生したおかげで広く普及することになったのが下面発酵ビール(ラガー)です。季節の気温によりビールの味が変わってしまうことから、それまでは一年を通じてビール造りができませんでした。そこでこの冷却器を使うことで、一年中安定したビールが造れるようになりました。
19世紀後半に入るとビール市場が更に拡大し、それまでの国内から海外に広く輸出され、その頃に日本にもビールが輸入されるようになりました。産業革命以降の食品業界の成長は著しく、巨大ビールメーカー1つにアンハイザー・ブッシュのちの「バドワイザー」や「ハイネケン」が誕生したのもこの頃です。ちなみにアメリカでは、あの「コカ・コーラ」やケチャップの「ハインツ」などもこの頃に誕生しました。18世紀~19世後半に起こった産業革命によって人々にもたらされた事の1つに食生活の変化です。それまでは昼食を食べるために人々は自宅に帰り食事をしていた文化が、家から遠く離れた工場で働くことになり、ランチパックや近くの売店で食事を購入するようになったのです。より食品に品質が求められる時代が訪れ、ビール造りも次の時代に突入してきます。
次回は20世紀初頭の禁酒法時代から今日にいたるまでの「ビールの100年」を振り返っていきたいと思います。次回につづく……